美作における八幡別宮
「一覧稿」をまとめた時には見落としていたのですが、美作に「八幡別宮」の存在を示す史料を東寺百合文書中に見つけました。弘安10年(1287)11月18日の善統親王譲状案(を函/8/1 ほ函/27/2)です。善統親王が相伝した七条院領のうち、深恵に分譲された所領の一つとして「美作国 八幡別宮并国分寺・同尼寺等」がみえます。
http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=20409
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/image/idata/850/8500/05/1006/0002.tif
この史料は東寺領上桂荘の手継文書案で、上桂荘関係の手継証文の一つとして弘安10年の譲状がありました。上桂とともに深恵に分譲された所領として、美作の八幡別宮があるということです。上桂関連史料中にたまたま残っていた史料ですので、どのような経緯で七条院領になったのかなど、詳しいことはこの史料からではわかりません。
残念ながら現在、美作地域に別宮の由緒を伝える八幡神社はありませんし、またその社ないし荘の故地も不明です。ただ美作国域には、真庭市月田本(月田本村)に「別宮山八幡寺」なる真言宗寺院があり、あるいは石清水別宮と何らかの由緒、関連を持つ寺院なのかもしれません。
葛飾別宮(現・葛飾八幡宮)の現地巡見
2017年6月1日に、葛飾別宮(現・葛飾八幡宮)を巡見しました。この時は特に文化財見学などはなく、現地の状況確認のみ行っています。
参道の途中に京成本線の踏切があります。
由緒を記した看板です。社伝では寛平年間の創建とされています。
随神門遠景です。
随神門の創建年代は看板には記されていませんが、江戸期、幕末とされています。かつては仁王門でした。
拝殿です。建立年次を示す案内はありませんでしたが、
千本公孫樹です。これは国の天然記念物に指定されています。
案内板です。樹齢1200年以上というのは、どうも寛平年間の創建という社伝に引きずられているような気がします。
源頼朝の駒どめの石。こちらは特に文化財指定はされていません。
元亨元年十二月十七日の陰刻銘をもつ梵鐘です。銘については、市川市のサイトから引用しました。
〔第2区〕
元亨元年辛十二月十七日
酉
願主右衛門尉丸子真吉
別當法印智圓
〔第1区〕
敬
奉冶鋳銅鐘
大日本東州下総第一鎮守
葛飾八幡是大菩薩傳聞寛平
宇多天皇勅願社壇建久以来
右大将軍崇敬殊勝天長地久
前横巨海後連遠村魚虫性動
鳬鐘暁聲人獣眠覺金啓夜響
求除煩悩能證菩提
案内板の写真部分を接写したものです。直に撮影したものではありません。
いくつかの碑がありました。
「中世八幡宮寺領一覧稿」のPDF公開について
2017年3月に発行された『早稲田大学高等学院研究年誌』に収録された私の論文「中世八幡宮寺領一覧稿」が、このたび早稲田大学リポジトリ上にPDFファイルとして公開されましたので、ここに紹介します。当ブログにおける2017年2月以降の情報は、おもにこの論文によるものです。なお、抜刷もありますが、これとまったく同じものです。
この雑誌は大学図書館関係での所蔵館がトータルでも15館、そのうち受け入れを継続しているのが5館、なんと発行元である早稲田大学でもネット公開開始により受け入れを止めているというレア雑誌ですので、ご入用の方はこのPDFを利用してくださればと思います。なお抜刷もありますので、もしそちらが必要な方はご連絡くださればと存じます。
徳永健太郎「中世八幡宮寺領一覧稿」『早稲田大学高等学院研究年誌』61 2017年3月
なお、ツイッターでキリューさん
徳永健太郎「中世八幡宮寺領一覧稿」、早稲田大学高等学院研究年誌6, 2017.3https://t.co/HYKqzpoQn4
— キリュー (@quiriu_pino) 2017年11月28日
pdf 公開論文。辞書・工具類を中心に石清水八幡宮領を網羅したリスト。国史大辞典があげるのが153ヶ所なのに対し、こちらは532ヶ所。
この場を借りてお礼申し上げます。